AIは人間の叡智にどこまで迫ったか?
- AIは人間の叡智にどこまで迫ったか?
「人間の頭脳と同じくらいの能力を持コンピューターを作ろうとしたら、どのくらいの大きさが必要ですか?」
その答えは「地球の大きさです」だった。
今から40年ほど前の話だ。
コンピューター自体今はかなりダウンサイズしているから今なら10階建ての高層マンションくらいと答えがかえってくるかもしれない。
いやもっと小さくて消しゴムくらいかも知れない。
ただし、このQ&Aはかなり曖昧なところがあって、肝心な前提条件が抜けている。
人間の五感いや六感を含む能力とすべきであって、そうすると解答は「無理です」となったはずだ。
もっと忖度すれば「地球の大きさです」という答えそのものがそれは不可能ですという意味なのだろう。
今やAIが超スピードで進んでいるからどこまで小さくなるか予測は不可能である。
また当然サイズだけではなく能力も驚異的な進展を見せている。
現在IBMが実用化を目指している画期的とも言える新概念の半導体は非ノイマン型コンピューターである。
既存のコンピューターは一般にノイマン型コンピューターと呼ばれている。
この特徴はあらかじめメモリーに記録したプログラムの命令に従い、順番に処理をこなすものである。
これに対して非ノイマン型コンピューターは、複数の処理を並列で同時にこなし、学習や推論を実現させる。
これは脳神経、量子力学、DNAなどの原理を応用した次世代コンピューターである。
人間の脳に迫ろうとする研究と言っても良い。
最近、将棋の史上最年少棋士で、公式戦連勝記録歴代単独1位の29連勝を達成した藤井聡太四段(14歳)が大きな話題になった。
惜しくも30連勝はならなかったがそれでも62年ぶりに記録を塗り替えたのだから凄い。
ただ、天才と言われる彼にしても一朝一夕でその実力を身に着けたわけでもなく、幼少から詰将棋を徹底的に(聞くところによると1万回以上)やって鍛錬していたそうだから、才能プラス努力があってこそ、である。
私の記憶にある人間とCPが頭脳で勝負した有名な例が、今から20年ほど前にあった。
当時のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフとディープ・ブルーと呼ばれるIBM製スーパーコンピューターとの間で行われた2度のチェス六番勝負である。
第一戦は1996年にアメリカのフィラデルフィアで行われ、カスパロフが勝利した。
第二戦は1997年5月、ニューヨークで行われた。
この試合では、トーナメント条件下で現役のチェス世界チャンピオンがコンピューターに初めて敗れた。
「コンピューターに負けることなどない」と豪語していたチェスの世界チャンピン、ゲイリー・カスパロフをディープ・ブルーが見事に打ち負かしたのである。
私はTVの特集番組でこの対戦の模様を観たことがあった。
人間の知恵という重荷を背負って戦ったカスパロフは、負けた瞬間、怒りと絶望をあらわにした顔で対局テーブルから立ち上がり、完全に打ちひしがれて対局場から立ち去った。
ディープ・ブルーに敗北を喫したことについて、カスパロフや他のチェスの名手らは、ある一手のせいだと分析していた。
第一局の終わり(第二局の最初の一手とする人もいる)に、ディープ・ブルーはある駒を犠牲にする一手を打った。
その背後に長期戦に持ち込もうというディープ・ブルーの作戦があるかのように思われた。
この一手は、コンピューターによるものとは思えない非常に洗練されたものであったため、カスパロフや他の多くの人が、ゲーム中に何らかの人間の介入があったのではないかと考えていた。
「あれは信じられないくらい洗練された一手だった。
守りを固めながら、同時にその後反対の動きをすることを微塵も悟らせないようなものだった。
そして、それがカスパロフを混乱させた」。
グランドマスターの称号を持つヤセル・セイラワンは2001年にそう語っていた。
要するに彼はディープ・ブルーが失敗から学んだ、つまり自己学習したと言っていたのだ。
ところがあの対戦から15年が経った2012年、ディープ・ブルーの設計に携わったあるエンジニアは、あの動きがバグのせいで生じたものだったことを明らかにした。
この話は、ニューヨークタイムズ紙にコラムを連載する統計学の専門家、ネイト・シルヴァーが著書『The Signal and the Noise』のなかで明らかにしたものである。
ワシントンポスト紙のエズラ・クレイン記者はさっそくこの逸話を書評のなかで紹介している。
シルヴァー氏は同書を書くにあたって、ディープ・ブルーの設計に携わったマーレイ・キャンプベルというコンピューターサイエンティストに取材した。
マーレイ氏は同マシンを設計した3人のコンピューターサイエンティストの一人だが、同氏によると、あの時ディープ・ブルーは次の一手を選択できず、単にランダムに手を打ったのだという。
当時、ディープ・ブルー対カスパロフの対戦は、コンピューターサイエンスの歴史に残る「世紀の対決」として大きな注目を集めた。
そして、人々はカスパロフの敗北を、人間の知性がコンピューターに打ち負かされた屈辱的な敗北として嘆いていた。
しかしあのセンセーショナルな報道は、人間には物事をおおげさに考えすぎるきらいがあることを示す一例だったと私は思っている。
それから20年後の2017年5月20日、将棋プロ棋士・佐藤天彦名人とコンピューターソフト・Ponanzaが戦う「電王戦」の最終局が行われ、94手でPonanzaが勝利した。
コンピューターソフトが現役名人に連勝するという衝撃的な結果で、2012年から開催されていた「人間とコンピューターの頭脳バトル」にピリオドが打たれたのである。
プロ棋士・遠山雄亮五段は「2012年の第1回から6年にわたる対決を振り返って、率直に言ってコンピューター将棋は人間を超えたのでしょうか?」と質問されてこう答えている。
「プロ棋士の世界では、実績がそのまま実力を表すと言われます。
第2期電王戦では、将棋界の最高権威である名人が2連敗を喫したので、この実績をもって、コンピューターは人間を超えたと言えるでしょう」
一方、藤井四段は「コンピューター将棋と戦ったらどうですか?」と質問され、「もう戦う時期ではない。僕は自分の研究のために使います」と答えている。
彼は、もはや競い合う対象ではなく、ツールとして自然に受け入れているのだ。
私はAIに対する若者らしい彼の言葉に何かしら清々しい気持ちにさせられた。
そう考えると、この文章のタイトル自体が空しくなってくる。
(了)
ケースメソッド協会 会長 古澤 賢