グローバル化の中で日本人が会議で求められるチャレンジ
巷ではビジネス環境の「グローバル化」が叫ばれて久しい。30年前は国際化という言葉を使っていたのが、今では「グローバル」化と言われるようになった。また国際的な人材も「グローバル人材」という言葉に取って代わられた。
今回は「グローバル化」とは具体的にどういうことかを会議の仕方を例に取り挙げてみたい。その中からは恐らく、今後私たち日本で働く人が急速に身に付けたほうが良いことがいくつか浮かんできそうである。
それでは、グローバルな会議とはいったいどんな会議だろうか。
最近、引き合いの多いグローバル会議司会進行のための研修内容(ミーティングファシリテーション研修)の中から、その特徴を拾ってみた。私たち日本人が今までの会議で慣例としてきたことと異なる点がいくつか見られる。
<グローバルミーティングの特徴>
1.使用言語: 共通語としての英語
(ヨーロッパに行くと、フランス語、ドイツ語ということもある)
2.出席者の文化的背景が多様で、常識・非常識が人によって異なるので接するときに相手の文化や行動様式に配慮する
3.(2)を受けてグラウンドルール(その会議の進行上のルール)を決め、周知する
4.出席者は時差ボケの中で出席しているので司会者は参加者の体調への配慮をする
5.出席者は指名されなくても自分から発言する。上下関係は意識せず意見を言う
6.他の出席者の発言途中でも割って入り、発言することが普通
7.少数意見でも躊躇せず発言する。また他の出席者も少数意見、反対意見共に歓迎する
8.英語が不得意であってもとにかく発言する
9.時間管理が厳しい。会議の開始時に、何時までに何をどこまで決めるか目標設定する
10.次回までに誰が何をするか最後に確認をする。
上記の項目はいずれも私たち日本人が今まであまり経験してこなかった状況かと思う。このうち(1)の英語の習得は現在国や各企業で注力しており、何年かのちには追いつけるかもしれない。また(2)(3)(4)は学びによって私たちの行動様式を変えていくことはできそうだ。
一方で(5)から(8)まではどうだろう。
私たちは日常的に、自分より上位の者を立て、上位の者の発言を待ち、かつ、指名されなければあまり発言しない傾向が強い。これはSeniority と言われる文化で、上位・年配の者を立てると言う習慣から来ていると考えられる。日本だけでなく韓国も同様で、韓国の方が厳しいという見方もある。
上位の者を立てる代わりに、上位の者は下位の者を守り、育てる義務を負うという不文律が長い歴史の中で延々引き継がれてきた。
また、「和をもって貴しとなす」という 聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条の精神はまだ生きており、目上の者とはもちろん、自分の同僚とも対立を嫌う傾向がある。従って自分の立場を表明したがらないし、そもそも独自の意見を持つという訓練を子供のころからあまり受けていない。家では親、企業では会社・事業部・上司の意見を待ち、従う。
子供が自分の意見を言えば、「口答えをするな」「生意気だ」とたしなめられることが多い。
また、人前で間違えることを「恥」と考え嫌う。海外での会議に出れば、シンガポール、香港以外の東南アジア人はそれほど英語が得意でない人が散見される。でも彼らは言葉の不自由を気にせず、ホワイトボードを駆使して補い、自分の意見を言うシーンが珍しくない。「恥」を恐れることより、会議で結果を出すことに貢献する方を優先している。また、早口で巻き舌傾向の英語を話すインドの人も、自分の英語が何回も聞き返されても気にせず、何度も言い直す。私自身は、これが出来ない日本人をたくさん見てきた。
さて、このような日本人は他国の、我々と異なる文化的背景の出席者からはどう見られる可能性があるだろうか。
・熱心さや情熱が足りないのではないか
・自分の意見がないのではないか
・何を考えているかわからない
やっとの思いで時差を克服して海外での会議や深夜の電話会議に出ていても、今のままの控えめな態度ではこのように思われても仕方がないだろう。とても残念に感じる。
このような実例を挙げると、今後私たちがグローバル化するビジネス環境の中で身に付けて行く必要のある態度やスキルが見えてくる。
<グローバルミーティングに参加するため強化が必要なこと>
・指名されなくても自発的に発言する
・上下関係の意識を捨てる必要はないので、事前に上司と打合せの上、意見を発する
・他の出席者の発言途中に割って入る必要はないが、少数意見、反対意見であっても、その場に提供し、会議の結果を出すことに貢献する
・他の出席者の文化的背景への理解を深め、少数意見、反対意見も歓迎する姿勢を見せる
・英語はただのコミュニケーションの道具と割切り、英語が不得意であっても発言する
日本人の謙虚さ、奥ゆかしさ、和を貴ぶ姿勢は美徳であり、それを捨てる必要はないと思う。ただし、他国と協働で切磋琢磨しながらビジネスで生き残っていくためには会議簿場での「受身」の姿勢は何としても改善していく必要がある。
また、人材開発の分野でも他国の人とのやり取りに対する積極的な姿勢を育てていく必要性を感じる。
以上
会員:河野木綿子
日本もファシリテーション研修などで、会議の良質な「進め方」や「ファシリテーターのスキル」の向上に努めてはいるでしょうが、発言のしやすさなどの雰囲気は文化・風土的な要素も大きく、なかなか変わりきれていない様子です。日本の会議そのものの変化は難しくとも、日本人がグローバルミーティングに参加する時は、日本の会議とは別の自分になりきって参加することが必要と感じました。有意義なブログでした。