新型コロナと金融市場
新型コロナウイルス発生当初は欧米株上昇、年初来高値更新
「黄鶴楼(注1)送孟浩然之広陵」
これは李白が師として慕う孟浩然を見送るときに武漢の西端に位置する長江のほとりで詠んだ詩である。
この漢詩(注2)の中で「・・・煙花三月下揚州・・・」(・・・花に霞が立ち込める三月に長江を下る・・・)に表現されているように、かつては当地が気候穏やかであったことがうかがい知ることができる。
黄鶴楼は武昌(武漢の旧地名)の名勝でいま世界中の話題の中心となっている武漢の遺跡である。
また武漢は歴史の表舞台にもたびたび登場してくる。
20世紀に入ってからは太平天国の乱、辛亥革命、蒋介石が南京に逃れる際の臨時政府設置など政治に大きく揺れ動いたが、第二次世界大戦後は中国共産党のもと商業都市として栄えた。
いまや多くの人がここに集まり人口は一千万人を超えるメガシティーとなった。
この武漢が今回の新型コロナウイルスの感染発生地となった。
(注1)黄鶴楼(武漢の名所旧跡)
黄鶴楼は武昌の西端長江を見下ろす高台にあった楼閣
(注2)黄鶴楼送孟浩然之広陵
故人西辞黄鶴楼(故人西の方黄鶴楼を辞し)
煙火三月下揚州(煙火三月揚州に下る)
孤帆遠影碧空盡(孤帆の遠影碧空に尽き)
唯見長江天際流(唯見る長江の天際に流るるを)
新型コロナウイルスが発生した当初、欧米では感染はアジアの一部地域にとどまるのではないかとみられていた。 全くの油断である。
なにしろ2月に入り、中国が春節を迎えたころの欧米株式市場は新高値を更新し、NYダウ工業株30種平均株価は大きな節目となる3万ドル達成まであと一歩のところまで駆け上がっていた。
また米国連邦準備委員会(FRB)も1月末には金融緩和に関して出口政策を模索する方針を打ち出し、米国大統領選挙に関して大半のメディアは、トランプ大統領の圧勝を予測していた。
しかし2月の中旬あたりから各国の株式市場は様変わりとなった。
大胆な金融緩和政策への変更にもかかわらず、市場のムードは漠然たる不安が恐怖に代わり、株式市場はリーマン・ショックを彷彿とさせる暴落となった。
グローバル・パンデミックに対する経済・財政政策とリスク
新型コロナウイルスの世界的感染拡大を契機に、水面下から突如姿を現した信用収縮とドル不足に対して、各国政策当局は前代未聞の金融緩和と信用緩和で臨んだ。
米国では経済学の大御所であるミルトン・フリードマン教授やNY州立大学のステファニー・ケルトン教授が中央銀行は紙幣を刷って国債を買い続けるなら財政出動を続けられるというMMT(現代貨幣理論)を展開したが、実際にこうした政策が実施されることとなった。
この結果、たとえばFRBの総資産は6.5兆円(年初4兆円)に急膨張した。
財政ファイナンスともいえる政策により、FRBのバランスシートと財政赤字が両建てで拡大したためである。
これは何を意味するか。ウイルス収束で経済が平時に戻っても、それらの規模は元には戻らないので、このバランスシートを圧縮するには大幅な増税が不可欠になる。
これは日銀にも当てはまることだ。
今後金融緩和を縮小すると金利が上がり、日銀のバランスシートはますます悪化する。
なお日銀は、年に数十兆円に及ぶ国債を購入し、上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)の購入により資産が膨れ上がった。足元では国が発行した国債の5割近くを日銀が保有する。
この結果、国債や株式の値下がりが発生すれば、その損失で日銀はいつ債務超過になってもおかしくない状態に陥っているのである。
例えば、長期金利が0.3%上昇しただけで債務超過に陥るという試算もある。
債務超過に転落すれば、欧米銀行は日銀の為替の取引枠をゼロにする可能性がある。
為替取引は日銀ネットを通すのでこの取引ができなる結果、円は暴落する。
日銀に関していえば総資産がGDP比で主要国の中で最も高くなった。
全く出口が見えない状況に追い込まれたとしか言いようがない。
アフターコロナの明と暗
新型コロナ収束後はどうなるか。
これまでの慣習やビジネスに様々な変化が訪れよう。
いまいたるところで多くのことが指摘され始めたが、私はイノベーションに火が付く可能性に注目している。
まずデジタルイノベーションについて考えてみたい。
これは基本的にはビジネスの在り方を変える非常に幅広い分野であるが、ここでは遠隔操作と非接触がキーワードになると考えている。
この分野では中国の企業が軒並み名を連ねている。
モノに触れずに建物に出入りできる個人認証、画像から新型肺炎を高速で判定するAI技術である。
決済データや位置情報から個人の感染リスクを割り出しスマホに示すアプリの開発などを行うアリババ集団はその代表的な企業である。
こうしたチャイナイノベーションは、今般の新型コロナを機に一気に表面化してきた。このほかにはバイオイノベーションがあげられる。
DNAに記された全遺伝情報を解析するゲノムを活用したワクチンや新たな治療薬の開発、新たな手法による抗体検査などバイオ技術の進歩は著しい。
こうした新たな技術はいま開花期にある。
一方、暗の部分ではどうか。じつはこちらのほうが心配されるので、なるべく早いうちにこうしたリスクを排除しておきたい。
最初に取り上げたいのは米中対立の深刻化である。
両国は新型コロナ前より貿易摩擦でもめていたが、今後はよりシビアな関係になろう。
今回の新型コロナウイルスの感染の源が中国であることは厳然たる事実であり、しかも情報隠ぺいが感染拡大の原因となった。
今後は戦後交渉のような賠償問題に発展する公算が大きい。
この賠償問題に関してはすでに様々な憶測やうわさが流れ始めており、極端なものでは中国に1兆ドル程度の米国債をペナルティーとして支払わせるという議論まで出始めた。
さらに中国が国際分業から排除される動きが出始めており、グローバルなサプライチェーンの組み直しの可能性も出ている。
財政問題も今後注意しなければならない大きなリスクだ。
とくに新興国の財政問題が世界経済を混乱に陥れる可能性がある。
新型コロナウイルスの感染拡大を防止するためにロックダウンすれば税制出動が必要になるが、新興国にはいまその余裕はない。
自国の金利を下げれば、ドル高を招き過去最大に積みあがったドル建て債務が重くのしかかる。
新興国は財政・金融政策を十分に行えないという問題を抱えており、まさに八方ふさがりの状態にある。
東京五輪開催のインセンティブ
前回の東京オリンピックは「社会インフラの整備」が主要なテーマになった。
東京と大阪間には新幹線が開通し、首都TOKYOにはビルの谷間を縫う高速道路とモノレールが整備された。
日本は戦後たかだか20年の間に荒廃の街からの立ち直りを世界に見せつけた。また急成長会社も現れた。
例えば、わずか2名でスタートした警備会社はこのオリンピックを契機に急成長した。
現在グループの従業員56,923名(2019年3月末減在)のセコムである。
五輪開催をきっかけに、このようなサクセスストーリーが随所に見られた。
さて今回の東京オリンピックについてはどうか。
新型コロナウイルスが感染拡大を見せる前には特段これといった目玉もなく、東日本大震災からの復興を遂げたシンボリックなイベントになるはずであった。
しかし現在では様相が急変している。
開催テーマは「新型コロナ撲滅、感染者ゼロ」といったところか。
このくらいのテーマを打ち出さないと世界から人は呼べない。
開催に当たってはロンドンやリオのような派手な演出はいらない。
開催にこぎつけるだけで世界各国からの共感を得よう。
五輪開催と運営に成功すれば、日本は世界に誇れる「安全、安心」な国としての評価を得て、プレゼンスも一挙に高まる。
そうなれば分断されたサプライチェーンの再構築には日本が要となろう。いまやサプライチェーンは労働コストが決め手にはならない。
決め手となるのは災害や厄災リスクを回避する安全と安心である。
東京オリンピックの開催を契機に、後に続く大阪万博にバトンタッチできれば日本は再び輝きを取り戻すこととなろう。
一方、一部のTVワイドショーで報道された感染症専門家の意見である「五輪開催可能性ゼロ」となればどうか。
日本は新型コロナの封じ込めに失敗し、その後の大阪万博の開催も危ぶまれる国家になり下がってしまう。
いままでに費やされた財政支出は、国民負担として私たちの子供や孫の次世代に重くのしかかり、日本は典型的な少子高齢化による衰退国家となるに違いない。
なお五輪開催に当たっては、ワクチンや治療薬の開発に加え、徹底した感染予防対策が必要だ。
いまこそ感染症リテラシー(教育)がいたるところでしっかりと実施されることを提言したい。
TVワイドショーに出てくるクリニックの院長や出演のたびに衣装が派手になる大学教授の意見に頼らなくても、感染予防を確立するだけの体制整備が今こそ必要だ。
SDGsへの取り組みできらりと光る国へ
SDGs(=Sustainable Development Goals)は2015年に国連が採択した持続可能な開発目標として、企業が次世代に向けて取り組む指標とされている。
5月のGW後に、日経新聞社主催の「日経SDGsフェス」が開催され、会議の模様がライブ中継された。
私の不見識で申し訳ないが、いままで17の目標を達成したところで企業価値の上昇にどのように結びつくのかという素朴な疑問があった。
しかしライブ中継が終わったところで、全体を俯瞰してみて感じたことが一つある。
それはこのSDGsは、いかにもわが国の企業がこれから目指す方向に合致するのではないかということである。
地味ではあるが、目標を達成すれば、日本はきらりと光った国になる。
典型的な少子高齢化といった問題を抱え、世界経済の隅に追いやられた国として、SDGsは新たな針路として取り組みやすい。
また目標達成のインセンティブも大きい。
地方創生のきっかけにもなるし、新型コロナをきっかけに、今後の感染症対策には健康ビジネスの発展が欠かせなくなった。
これまで資源の多くを輸入に頼り、付加価値をつけて輸出するといった旧来型のビジネスモデル、さらにはインバウンド需要に頼っていた経済から脱するには、このSDGsへの取り組みが不可欠である。
いままでのしがらみを取り払って、きらりと光る国になるには最適の目標となるのではないか。
いまわが国は、「CHANGEをCHANCE」に変える絶好の局面を迎えていると思う。
金融市場はこうした変化を前向きにとらえ始めている。
日経平均株価は3月の安値を更新することなく、1990年のバブル後の高値更新を視野に入れ始めたと受け止めている。
野村雅司